
こんにちは、しらたま(@shiratama_8man)です。
1年以上の休職。私にとって、自分を取り戻すための大切な時間でした。
この記事は、適応障害と診断されて長期休職した私が、心と向き合いながら少しずつ前を向けるようになるまでを、当時の気持ちをそのまま綴った記録です。
診断と休職。崩れていく心と、予想外の「安堵」
もしかしたら「休職」になってしまうのだろうか。でも、この程度で休職するなんて甘えではないだろうか。世間は許してくれるのだろうか。
自分の状態を客観視できるような状態ではありませんでしたが、心のエラー状態に耐えきれなくなり、勇気を出して心療内科を予約しました。
そして、適応障害の診断を受けた瞬間、妙に安堵したことを覚えています。
無理をしすぎています。
休みましょう。
と、専門家からのお墨付きをもらえたのだから、やっとこの苦しみから逃げられる。
という他人軸での安心ではありましたが…。
望んでいると思い込んでいた、「刷り込まれた理想」
心のバランスを崩すまでの私は、意外にも「こうしなきゃ」「こうあるべき」という思いで自分を見張っていたわけではありません。
むしろ「私はこれが好き」「私はこうなりたい」――
そう考えて、選択して、生きてきたつもりでした。
でも、休職して立ち止まってみたとき、ようやく気づいたんです。
それらは本当に、心からの願いだったのか?
もしかして、“社会から刷り込まれた理想”を、「自分で選んだ」と錯覚していただけなんじゃないか、と。
「充実したキャリア」「きれいな部屋」「ヘルシーな食生活」
一見ポジティブで、“自分軸っぽい”選択の中に、マーケティングや同調圧力が静かに入り込んでいて、
それに気づけないから、どんどん苦しくなっていたのではないか。
自分の内側から出てくるように見えていた“理想の姿”は、実は外から取り込まれた「誰かの価値観」だったのではないか。
どれも私の本心ではなかったのだと、ハッとしました。
私は、私だけど、私ではない。
「本音」が出てこないノートに戸惑った
そこから私は、自分の本当の気持ちを知りたくて、ノートに言葉を綴りはじめました。
けれど驚くほど、“これが本音だ”と感じられる文章が出てきませんでした。
どこかで聞いたような言葉ばかり。
SNSや雑誌でよく見るような「よさげな自己分析」。
“整った答え”ばかりが並んで、心にピンとこない。
何を書いてもしっくりこなくて、もどかしかったです。
繰り返し書く作業をするうちに、ようやくわかったことは、「本音って、こんなに深くに隠れてるんだ」ということ。
“わかったつもり”を剥がして、“本当に思っていること”と向き合う作業は、静かだけれど、ものすごく体力のいることでした。
適応障害の奥にあった、もっと根深いもの
病院では「適応障害」と診断されました。
確かに、勤務先の状況が一転したことがあり、そのストレスが引き金になったとは思います。
でも、本当に苦しんでいたのは、もっと深いところだったんじゃないか――
そんな実感が湧いてきたのは、休職してからしばらく経ってからのことでした。
自信を失ったのは、「考える自由」を諦めていたから
振り返れば、私が自信をなくしていった理由は、思考のたびに発動していたクセのような感覚でした。
「こういうふうに考えても、きっと叶わないよね」
「こんなこと言ったら、きっと失笑される」
そういう小さな否定を、ずっと自分の中で繰り返していたのです。
それは誰かに言われたわけでもなく、自分を守るために、知らないうちに身につけてしまった“心の壁”でした。
気がつけば、考えること自体を、どこかであきらめていた。
自由な発想や、願うこと、夢見ること――
そんなのは“現実を見てない人のすること””能力が高い人だけに許されていること”だと思い込んで、
最初から見ないようにしていたのです。
私はたったこれだけの思い込みに気づき、認めるまでに、1年以上かかってしまいました。
降参したら、少しだけホッとした
心の深いところに隠れていた思い込みに気がついて、それを「もういいや」って手放すような気持ちになったのは、きっと、あらゆることに降参する覚悟ができたからだと思います。
私は長いあいだ、「こうなりたい」「こうでありたい」という理想を持っていました。
でもその理想は、他人からどう見えるかに強く影響されていた。
「自立している女性」
「周りに認められる私」
「なんとなく“すごい”と思われたい」
そんな無意識の願望が、「自分の幸せ」だと錯覚していたのです。
けれど現実の私は、30代・未婚・実家暮らし・休職中。
転職で活かせるようなスキルもなく、友達も数えるほど。
昔の私がこの状況を見たら、絶望して泣き崩れると思います(笑)
でも――
そんなふうに「他人軸の理想」から降りて、“ここにいる自分”をようやく受け入れたら、少しだけホッとできました。
静かな気持ちでごはんを食べられたり、夜に泣き続けることもなくなり、不安がずっとまとわりついてくるような感覚から、少しずつ自由になっていった。
完璧に「ラクになった」わけじゃないけれど、
“今のままでいいかもしれない”と感じられる時間が、確かに増えました。
生きづらさを感じたら、見栄を捨てて「ダメな自分」でいいと思う
生きづらさを感じているなら、まずは見栄を手放してみませんか?
「ダメな自分」でいることを、許してあげてほしいのです。
私は「充実した自分でいたい」と思うあまり、
「出かける」「友達と会う」「彼氏を作る」「何かを買う」「何かをする」ことを、無意識のうちに義務のように感じていました。
でも、よく考えたらそれは、「行きたいから行く」「会いたいから会う」「好きだから一緒にいる」
という純粋な気持ちとは違っていました。
そこには、勝ち負けの世界から生まれる「欲求を満たすための生き方」が隠れていたのです。
自分に合うもの、合わないものを受け入れる
自分で変えられること、変えられないことがある。
理想的だけれど、自分には合わないこともある。
そんな現実を少しずつ、受け入れられるようになってきました。
偽物の理想を追いかけ続け、自分の本心を見てみぬふりをする状況から抜け出せたことは、私にとって本当に大きな前進でした。
自分を安心させられるようになることを目標に
今の目標は、自分で自分を安心させられるようになること。
休職当初は、こんな風に心が変わるなんて想像もできませんでした。
昔の理想はもっと物質的で、立場や条件が付随するものばかりでしたから。
まとめ
今の自分を受け入れて、一歩一歩進むこと。
そうして、自分を大切にする心の筋トレを続けていくことが、私のこれからのテーマです。
おまけ:休職後のはなし(2025年1月)
その後の私は職業訓練校に通い、再就職からの短期離職を経て、現在は非正規週2日勤務で細々生きています。
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