何をやっても続かない…
私はこれまで何度も「続けよう」と思っては、気づけばやめてしまうことの繰り返しでした。
筋トレも勉強も日記も、やる気にあふれて始めたはずなのに、1ヶ月以内に終わる。
そのたびに「また失敗した」と落ち込み、自分を責める…。
でも、最近やっと気づいたことがあります。
それは――
「継続とは、サボりつつ、誤魔化しつつ、ダラダラでもやめないこと」。
完璧じゃなくてもいい。むしろサボることを前提に継続を定義することで、結果的に長く続く。
今回は、私自身が挫折してきた経験を振り返りながら、「それでも続けるコツ」をまとめます。
私がつまずいた原因たち
理想が高すぎた
最初は「毎日30分!」「1日でもサボったら終わり」と気合十分で始めます。
でもそんな理想は長く続きません。疲れた日や忙しい日が来た途端にできなくなって、「あ、もうダメだ」と一気にやめてしまう。
理想を自分でハードルにしてしまっていたんです。
お金を求めすぎた
筋トレなら「すぐに体が変わらない」と落ち込む。
英語なら「全然話せるようにならない」と投げ出す。
「まだ成果が見えないから意味がない」と思ってしまって、続けられませんでした。
タイミングを逃し続けた
「キリ良く月初から」「来週になり一旦落ち着いたら」と先延ばし。
気づけば始めないまま一ヶ月経っていたこともあります。
始める前から「良い時期」を探して動けなくなる、これも私の大きなつまづきでした。
道具や準備にこだわりすぎた
形から入るのが好きで、日記を始める時には高いノートを買い、運動を始める時にはジムに入会するのがお決まりでした。
でも結局続かず、お金をかけたことに対して「もったいない」という罪悪感ばかりが残り、実際に金銭的な損失も繰り返してばかり。
準備を整えることが逆にプレッシャーになっていたんです。
最大のつまずきは「お金にならないなら意味がない」と思ってしまったこと
これは副業、勉強でも資格取得でも共通していました。
本当に興味があるわけではないのに「稼げるらしい」「将来に役立つはず」と思って始めても、心からやりたいことではないから続かない。
それでも続けられるようになった工夫
こうした失敗を何度も繰り返した末に、私はようやく「ゆるくてもいい」と考え方を変えました。
サボっても「続いたこと」にする
1日やれなかったら、次の日に「また始める」。
3日飛ばしても「やめなかった」と思えばいい。
ズルでもごまかしでも、完全にやめなければ“継続”です。
小さくてもやればOK
筋トレなら「腕立て1回」でもOK。
勉強なら「単語ひとつ」でもOK。
どんなに小さくても「ゼロじゃない」だけで、自己肯定感が下がらないんです。
思い立ったときにすぐ動く
「このタスクを終えてから」と思ったら、だいたいその日はやらずに終わります。
だから私は「今ちょっとやる」方式に切り替えました。
ほんの数分だけでも、やった瞬間に気持ちが軽くなるんです。
マネタイズよりも楽しさを優先する
「稼ぐ」より「楽しい」を選びます。
例えば、X(旧Twitter)や、このブログは書くことは私にとって楽しいことです。自分の考えていることを書き出すことでスッキリするし、文章を書く練習にもなります。
収益化も目指していますが、「自分が楽しむ気持ちを1番大切にする」ルートからは外れていかないようにしています。
続けてみて分かったこと
ゆるくても、誤魔化しても、それでも続けると少しずつ変化があります。
- 「私でも続けられた」という小さな自信が積み重なる
- 生活にリズムができて、他のことも整いやすくなる
- サボっても戻れるから、自己嫌悪が減る
完璧にやらなきゃ続かないと思っていたけれど、実際はその逆。
ダラダラでも続けていれば、ちゃんと力になると実感しました。
これは、読んでいるだけではわからないことです。
本当に効果があるの?その程度で意味があるの?と疑ってばかりいないで、まずやってみることをおすすめします。
これは、過去の自分へ強く伝えたいメッセージです。
まとめ
私がこれまでに挫折した原因は、
- 理想を高く持ちすぎた
- 結果を急ぎすぎた
- 始めるタイミングを逃した
- 道具や準備にこだわりすぎた
そんな自滅のパターンばかりでした。
でも考え方を変えて、
- サボっても「続いたこと」にする
- 小さな一歩を積み重ねる
- 思い立ったらすぐ動く
- 楽しさを優先する
こうしてハードルを下げたら、ようやく「継続」が自分の味方になってくれました。
結論:継続とは、サボりつつ、誤魔化しつつ、ダラダラでも続いた人の勝ち。
完璧じゃなくても、三日坊主を繰り返しても、戻ってくればそれでOK。
そんなゆるさでこれからも続けていこうと思います。