こんにちは。
しらたま(@shiratama_8man)です。
本日は昨日の記事の続きです。
自分の人生なのに、他力本願
私が結婚したかった理由は、自分で努力せず幸せになりたかったから。
とにかく他力本願だったからです。
物事を立体的に考える力が非常に弱く、忍耐力もありませんでした。
心の成熟や自分との対話には、時間がかかるのが当たり前。
でも、当時の私は「結果が保証されない努力はやる気が出ない」「すぐ変われる答えが欲しい」と内心では思っていました。
しかも、そう思っていることも見てみぬふり。
その一方で「自分を大切にしている私」を演出して、他人への充実アピールと、自分を騙す行動にはかなり注力していました。
労力と時間を使うポイントがズレまくっていたのです。
私が求めていたのは恋愛ではなく、セラピストか魔法使い
当時の私は、
私の悩みが帳消しになるように導いてくれる男性がいるはず!
この人こそが生きる意味と感じさせてくれる人が現れれば解決する!
私の全てを理解して、全てを癒してくれる人がいる!
という思考回路でした。
(しかも無自覚)
もし当時の自分が身近にいたら、「あまり関わりたくない」です。
自分の言葉で話せない人と話していてもつまらないし、幸せの演出に嘘くささを感じ取ると思います。
恋愛相談にのったとしても「自分は変わりたくない」「相手がわたしに都合よく変われ」という本音が透けて見えて、イライラすると思います(^ω^)笑
おそらく当時お付き合いしていた人たちも、交際期間に比例して、そう感じていたことと思います。
救いを求める関係性は不健康
そして、ようやく気づいたんです。
私が求めていたのは、恋愛ではなく「救い」そのものだったと。
でも、自分で自分を救えるようになるまでは、健康的な恋愛はできるようになりません。
恋愛は人間関係の延長に存在しています。
一緒にいる時間が長くなるほど、精神的な自立と、自他の境界線が必要です。
恋愛から離れたら、驚くほど心が穏やかになった
相手に好かれているか、恋愛が順調かどうかで、自己価値を揺さぶられる。
他者の承認がないと自分を保てない。
そんな状態から離れてからは、驚くほど人生が穏やかになりました。
今まで自分が「好き」と思って取り組んでいたことには、全て過剰な演出が入っていました。
友達が多い彼に合わせて、自分もできるだけ友達との予定を入れて「私にも素敵な友達がいる」とアピール。
センスの良い彼に合わせて、自分1人の時でも都心の話題のカフェに行って報告する。
高収入の彼には追いつけないけど、せめて収入を上げるために転職や勉強をしてみる。
全てが虚像だったな〜って思います。
本当の自分は、毎日家にいて低刺激な日々が幸せ。
働くことも、むやみに人と接することも避けたい。それで低収入になるとしても、自分に無理させるよりも断然いい。
時間と自分を切り売りしてまで行きたい場所や欲しいものはほぼ無い。
今の私でいることが楽で、地に足がついていて、嘘がなくて、安心で、気楽なんです。
今の、何も持っていなくてもマイペースに過ごす時間に安心を感じているのが本当の自分。
しかし、それを認めないまま人生をコントロールしようとしていたので、上手くいかなかったのです。
出会う相手やお付き合いする相手とも、価値観が合うわけがなくて、無理が生じるだけなのです。
今後の恋愛について思うこと
縁があったらするだろう、なかったらしないだろう。
という感覚です。
私は昔から「子供は欲しくない」と思っているので、
この価値観が合致する人じゃないと、一緒に人生を歩むことは難しいな〜とも思います。
恋愛を否定するつもりはなく、悲観的な感覚もありません。
生まれる時も、人生が終わる時も、ひとり。
誰かと居ても、孤独を感じることはある。
手に入れたら、いつか失う。
といった、昔は見て見ぬ振りをしていた部分を直視できるようにもなったので、
いいことばかりではなく、表裏一体で考えるようになり、執着しなくなったように思います。
今は人生のリハビリ中。
老若男女問わず、等身大の自分で、シンプルな言葉で関わる練習中です。
どんな時でも、誰といても、自然体で過ごせるようになること。
それが、いまの私にとっていちばん大切なことかな〜と感じています。
おわりに
自分と向き合う過程については長くなるので省略していますが、とても体力と気力と時間を使う作業だったな〜と思います。
数ヶ月では正直ほぼ何も変わらず、2年以上かけてようやく軌道修正されてきた感じです。
でも、ここまで必死で食らいついて投げ出さなかった自分には、とても感謝しています。
本日もここまで読んでくださり、ありがとうございました(^ω^)
それでは、また。
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